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未来芸術家列伝 IV :
オーダーと第一次世界大戦

WEBサイト→  準備中

本展ではマルセル・デュシャンの「レディメイド」が、実はタイムカプセルであったことが明かされ、未来の作品として完成させられます。それは、デュシャンの神話化やバブル化した解釈のゲームに加担する行為ではなく、むしろ、そのバブルを剥ぎ、身の丈にあった衣服を仕立て、完成(終わり)へ至らせる行為であります。そこから反転し現れる「第一次世界大戦」と共にレディメイドならぬオーダーメイドの転回が展示されます。
 

「2007年より予告されてきた『未来芸術家列伝Ⅳ』は予告通り2017年に開催されるはずだ。しかしそれはもっと以前から予言されていたとも言える。ちょうど100年前に起こった2つの事件、帝政ロシアを終わらせ、初の社会主義国を建国した「ロシア革命」と、近代美術を終わらせ、現代美術を打ち立てたマルセル・デュシャンらの《泉》(「リチャード・マット事件」)によって未来は既に定められていた。2017年は、現代美術が終わり、未来芸術家列伝が始まる年となる。」(『未来芸術家列伝 IV:現在の終り』より)
 

 


未来芸術家列伝 IV:オーダーと第Ⅰ次世界大戦
An Art User Conference 

会期:2017年12月27日 - 2018年1月2日 、1月6日
12:00 - 21:00 (12月31日12:00から1月1日21:00までは終日オープン )
会場:青山|目黒(東京都目黒区上目黒2-30-6)  

助成:公益財団法人東京都歴史文化財団アーツカウンシル東京 



未来芸術家列伝 IV カンファレンス

​展覧会と同会場にて下記のプログラムを開催
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・トークイベント レディメイド/裏返された未来
出演:中尾拓哉、橋本聡、松井勝正 
12月28日 18:30 - 21:00

『マルセル・デュシャンとチェス』(2017, 平凡社)の著者、中尾拓哉氏を招いてのトークイベント。
レディメイドは、あらゆるものは既に生まれていて未来も既に完成していることを示している。その一方で、それは、あらゆるものの意味は変化していて過去も未だ完成していないことを示している。マルセル・デュシャンのレディ・メイドが提示するこうした時間概念を手がかりに、「未来」と「時間」についてディスカッションを行います。 


 


・ワークショップ 名前をつけかえす
 12月31日 20:30 - 22:00 

未来では、今の自分の肉体を構成する物質はすべて、代謝によってトイレに流されているだろう。しかし名前は変わらず残り続け、墓碑に刻まれる。そういう意味では、人のアイデンティティは名前にこそあるとも言える。名付けられることによって私たちは社会と言語のシステムに組み込まれる。そして私たちは、親から呼ばれた名前を運命として引き受ける。自分の作者が親であるという事実は逃れられない運命のように思う。しかし、私たちはあらゆるものを自由に呼ぶことができる。マルセル・デュシャンは1919年、レオナルド・ダ・ヴィンチ『モナリザ』に髭を付け『L.H.O.O.Q.』と名付け、その後、何も手を加えていない『モナリザ』に『髭を剃られたL.H.O.O.Q.』と名付けた。第一次世界大戦は第二次世界大戦の原因となったが、第二次世界大戦が「第一次世界大戦」という名前の原因となった。 
自分の名前をつけた人に対して名前をつけ返すワークショップを行ないます。(終了時に軽食などが当たるくじ引き《Hat Luck》に参加頂けます) 


 


・シンポジウム 12月32日
 12月31日 22:00 - 26:00 
出演:石岡良治、高嶋晋一、土方浦歌、橋本聡、松井勝正 ほか

1月1日午前1時は、12月31日25時でもあり、12月32日午前1時でもあるかもしれません。延ばされた 31日、延ばされた2017年。年の区切りをまたぎ、あるいは年を引き延ばし、「未来」や「時間」をテーマとした出演者それぞれの発表とディスカッションを行ないます。(休憩時に軽食などが当たるくじ引き《Hat Luck》に参加頂けます) 


 


未定 

12月31日 26:00 - 朝 

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今ある物質=質量は、ほぼ100年前にもあったし、100年後にもある。だから未来を構成する材料は、今既にある。過去/未来は、今欠如しているもの=欲望を材料(痕跡/徴候)に投影することによって生じる。つまり過去/未来は、物質に投影された現在の反転像である。レディメイドは約100年前に完成した作品ではない。それはもっと以前に完成していたものであり、未だ完成していないものでもある。あらゆるものは既成であるが、あらゆる既成のものは常に変化していく。過去の作品として宙吊りにされてしまったレディメイドを、既成の未来と未完の過去が交差する時間の中に戻さなくてはならない。つまりレディメイドは過去のものであると同時に未来のものでもある。帽子掛けには帽子が欠けていて、コートハンガーにはコートが欠けている。レディメイドは自身の欠如を欲望対象として未来へ投影する。

 

変化と運動の美学は完成した作品に集約されない。イタリア未来派のパフォーマンスは、舞台と観客席の境界を乗り越え、さらに街頭に飛び出した。そこで彼らは第一次世界大戦への参戦を目指し、イタリアの民衆を扇動する。第一次世界大戦は未来派の表現活動の集大成として捉えられる。過去を一掃することが現在を開放する。未来派は目的のために変化を求めるのではなく、変化そのものを目的としていた。暴力は制度やルールに依存しない唯一の表現行為であり、暴力は最も純粋化された前衛表現である。第一次世界大戦におけるマシンガンの登場は、前線の兵士を過去と未来から解放した。そこでは準備をすることや先を読むことは無意味であり、運がよいことだけが生き残る条件となる。運がよいゆえに生き残るが、生き残ったゆえに運がよいと言われる。過去から未来へという因果性の制度を抜け出し現在にすべてを賭けること、そこに美学的陶酔がある。

 

レディメイドは第一次世界大戦を背景としている。レディメイドが現在を過去と未来に引き裂くものだとすれば、未来派は過去と未来を消去し充実した現在を実現しようとした。未来派および第一次世界大戦が創造的かつ破壊的であるとすれば、レディメイドは反創造的かつ反破壊的である。

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